2016年03月13日 01:41

昨日、5年ぶりに『チャイナ・シンドローム』を見た。前回視聴したのは、2011年の3月末か、4月だったと記憶しているが、勿論、東日本大震災そして福島第一原発の事故があったをきっかけに見たわけで、史上最悪ともいえる原発事故が我が国で起こってしまった時期だっただけに、映画の内容が現実とオーバーラップしていたのを思い出します。
それから、早5年の歳月が経ち、一部では復興は着実に進んでおり、明るい未来が見え始めているような報道もされていて(オリンピック開催が控えていることもあったりして)、震災や原発事故は過去の話のような印象を受けがちですが、実際は、全く復興作業が進んでいない地域も多々あり、帰宅困難地域に住んでいた人々は今後の帰る見通しも立たず、依然行方不明のままで捜索が続けられているという現状があります。確かに、いつまでも悲しんでいないで、前を向いて進んでいかなければいけない、という気持ちは大事ですが、あの大惨事を風化させてしまうのはあまりにも早すぎるのではないでしょうか?そんな中で、原発を再稼働させているけど、ほんとに大丈夫なのか?(高浜原発は、地裁の差し止め仮処分決定を受けて、停止しましたが―2016年3月10日)
で、再度見た『チャイナ・シンドローム』。製作されてから、30年以上経過しているわけだけれども、全く古さを感じさせないのは、現実で同じことが起こってしまったから(福島の事故は、映画以上の惨事なわけだけれども)。原発は安全だという神話にも似た思い込み、でも事故は起こりうるという矛盾した考えのもとで操業しているジレンマ。事故が起こったら、過小評価し、まず隠ぺいしようとする上層部、仕方なくそれに従う現場の作業員、圧力に屈して報道できないマスコミ、どれもこれも、何十年がたっても変わらない今現在の世の中を映し出しているとしか思えないわけで。映画では施工ミスが原因で、現実の福島事故は大地震と津波が原因でそれは想定外という意見もありましたが、「事故は起きない」という半ば思い込みにも似た考えが、この映画でも指摘してる「事故が起きたときどう対処するのか」「核の廃棄物の処理はどうするのか」なんかの答えを見いだせないまま今日まで来てしまった要因ではないでしょうか。
勿論、電力供給の面からみれば、有用な代替発電が見いだせない現状、原発の再稼働は現実的なんでしょうが、再び想定外の事故が起こったとき、誰が責任を取り、誰がどう対処するんだろうか?その辺を明確にせずに原発を動かしても大丈夫なんだろうか?何か足りないまま、いつの間にかどんどん先に進んで行ってしまっている気がします。また、この映画を見て、少なくとも、あの記憶を忘れてしまわないように、心のどこかに刻んでおく必要はあると思います。日本でも、こんな社会派のエンタテイメント映画を作れないかなあーと思ったりしましたが、現実的にはいろいろ難しんでしょうね。


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